過去生ヒーリング

過去生というのは本当にあるのでしょうか?
ヒーリングセッションをする前の私は、「分からない」と答えたでしょう。しかし今では、「ある」とはっきりと言うことができます。
これは私がセッションを通して学んだことのひとつです。



過去生を見ることによって痛みと恐怖が消えた

私が日本に帰国し本格的にヒーリングセッションを始めて間もない頃のことです。
日本でのセッションを始めて3年ほどのうちに、セッションで過去生に入っていった人は、正確に記録していませんのではっきりとは分かりませんが、2~30人くらいではないかと思われます。
私が直接聞いた人でそのくらいですから、実際はもっと多いのかも知れません。というのも、セッションの後は、クライアントは深いリラクゼーションのなかから戻ってきたばかりですので、あまり頭を使って話をするような気分にはなりません。またヒーリング効果を高めるためにセッションの後は必要なこと以外は話さず、クライアントにもしばらくの間は静かにしてもらうように伝えています。そのため、セッションで何が起きた聞くことができるのは後でもう一度会うチャンスがある場合だけとなります。

私が聞いた過去生体験のなかで特徴的なケースとして次のようなものがあります。
クライアントは30代前半の女性で、静かながらも感受性が高く、オープンな性格の持ち主です。胸部と腹部に原因不明の痛みを抱えていましたが、私のセッションは病気の治療が目的ではないことを知っていたのでしょう、私にはその痛みのことは話していません。また最初のセッションの時、事前に書いてもらう質問票にもそのことは書いていません。セッションに対するメッセージは「どんな自分に出会えるか楽しみです」と書いていました。

最初のセッションでは、まず全身の目立つフィジカルなテンション(緊張)を解放して、エナジーが流れやすくし、体の自己ヒーリングしやすい環境を作りました。自分のからだに対する感覚に鋭い彼女は、セッションの後、「上と下がつながった。ありがとう」と喜んでいました。
それから約2ヶ月後に、彼女は再びセッションを受けにやってきました。この時に彼女は過去生を体験します。
セッションのはじめにボディリーディングをすると、前回のセッションで表面のテンションがきれいにほどけており、その下から腹部に大きなブロック(肉体的、エナジー的な障害)が浮かび上がってきているのが読みとれました。
そのため、まず腹部のまわりのティシュー(組織)を直接、できるだけほどいた後、腹部に手を当て、時間をかけて、エナジーヒーリングでブロックを溶かしていきました。そして最後は仙骨から深いリラクゼーションに誘導して、ヒーリングエナジーが降りてくるのを待ちました。
しばらくするとセッションルームのエナジーが変わり、仙骨の微妙な動きの変化からも、大きなヒーリングが起き初めていることが感じ取れました。そして、そのヒーリング状態はいつになく長く続いたのです。おそらく過去生にいったのでは・・・と予感しました。
セッションによってまちまちですが、ふつうこの状態は10分から20分長いときでも30分くらいで終わります。しかし、この時はセッション記録をみると45分間続いています。
深いヒーリングの状態が終わると、私はセッションテーブルの上に横たわる彼女の全身を慎重にチェックしたあと、部屋のエナジーを浄化して、終わりの合図をしました。
ゆっくりと時間をかけてセッションテーブルの上で上半身を起こした彼女は深い目のまま、語りはじめました。

「私の中が黄色い光で満たされたの・・・」「戦争で腹と胸を刺されたの・・・」「男と女の人に看病されたの・・・」
静かな口調でしたが、あふれ出るかのように、とりとめもなく話し続けます。
過去生ヒーリングが起きたことはだいたい分かっていました。、私は話に興味があったのですが、彼女のためには、今頭を働かせてしゃべるより、静かにしていた方がヒーリング効果が続きます。それで私は話は続けずにセッションを終わりにしました。
それから数日後、再び彼女と会うチャンスが会って、セッションでの体験について話を聞くことができました。この時はすで彼女の中で体験を消化する時間を経ていましたので、順序だてて話を聞くことができました。
彼女がまず体験したのは光でした。これは私のセッションで過去生ヒーリングが起きた人が共通して体験するものです。臨死体験者も同じような体験をするようですが、まず暗闇の中に光が見えて、それに近づき、そして光に包まれます。その光のトンネルを抜けると過去生でその人が死ぬ瞬間のシーンになるというのが基本的なパターンです。
彼女の場合も、まず光の体験から入って、その後に自分が死ぬシーンに変わります。そこは地面の上に直接立てたテントの中で、それは戦場に作られた野戦病院でした。重傷を負った彼女は(過去生の中では彼女は男性だったので彼といった方がいいのかもしれませんが、とりあえず彼女ということにしておきます)はベッドの上で、それまでずっと看護してくれた男性と女性二人に看取られながら、息をひきとります。
看護してくれたふたりは、彼女の今生でも友人として現れており、夫婦になっているということでした。過去生のヒーリングが起きたケースの半分くらいの割合で、こういったことが見られます。過去生に登場する人が、現生でも家族であったり、友人であったりするのです。そしておもしろいことに、過去生と現生では姿かたち、ときには性別まで違っているのに、なぜかその人であることが分かるのです。
次に彼女が見たのは戦場のシーンです。彼女は兵士として戦っているうちに、胸の左上部と腹を刺されて重傷を負います。これが原因で先ほど見たような臨終のシーンになるわけです。
セッションで彼女が見たものの大筋はこういったところですが、その後すぐに彼女に変化が現れました。
まず彼女が子供のときから抱えていた原因不明の痛みがとれたのです。何度か医者に見せたそうですが、検査しても原因が分からなかったのです。そして、その痛みの場所がまさに過去生で見た刺された場所、胸の左上部と腹部だったのです。
もうひとつは、それまでいわゆる「先端恐怖症」で包丁がさわれなかったのが、平気になり料理もできるようになったのです。女性として包丁が持てなかったことでつらい思いをしたようで、彼女はそのことを非常に喜んでいました。
しかし、それだけでないことは、数日ぶりに会った彼女を見たときにすぐに分かりました。どことなく自分を押さえ込んでいるようなところが消えて、はつらつとしたエナジーが外に出ています。顔も別人のように明るく輝いています。彼女が気がついている以上に深いところでヒーリングが起きたのは明らかでした。

過去生ビジョンの中で人生のガイダンスを聞く

もうひとつ、過去生ヒーリングの特徴的なケースをあげましょう。
クライアントは40代後半の女性で、子供や高齢者を助ける仕事をしていました。これも後で分かったことですが、セッションを受けるときは、仕事の面で大きな岐路にたっていて、ずっと悩んでいました。セッションを受ける気なったのは、「もっと深い瞑想ができるようにボディを調整したい」ということでした。
彼女は1回目のセッションから深く入っていきました。そして最後のほうでさらに深いスペースに入っていくと、突然呼吸が変わって、ある時は体を風船のようにふくらませながら大きな呼吸をしたり、ある時は死んだように長い間呼吸をしないということもありました。普通の意識状態ではどんなにがんばってもあのような呼吸はできないでしょう。体の限界ギリギリで呼吸しているのです。ときおり、顔の表情が苦しみで歪み、彼女が大きなトラウマを通り抜けているのが伝わってきます。エナジーの変化をみるまでもなく、大きなリリースが起きているのがわかります。
セッションが終わると、彼女は「私は前世を見てきた。私はイシスの弟子でした」といったあと、「体がギューンと伸びて、ハートがパカンと開いて・・・」といった感じで話し続けました。おとなしいまじめな感じの人とは思えないような感覚的な話しぶりでした。さきほど、あれほど苦しい顔をしていた人は思えないほどうれしそうな顔です。
そして数時間後、落ち着いたところで彼女が体験したことを聞くことができました。
彼女の話によると、古代エジプト時代に女神イシスを祀る神殿で巫女さんのようなことをしていて、みずからすすんでイシスに捧げるいけにえとなったというのです。いけにえになったとき、彼女の言い方ではハートがパカーンと開いて、そこからイシスが入ってきて一体となったそうです。そして「これからは女性のためのワークをしなさい」というイシスのお告げがあったというのです。
彼女はそのころ、子供のための仕事と女性のための仕事というふたつの選択肢があって、これからどちらの道に進もうかと悩んでいました。それにイシスが答えてくれたのです。
イシスのいけにえになった過去生というのもユニークですが、過去生のビジョンの中で今生の悩みについてのガイダンスを受けるというのも変わっています。
もしかするとこれは彼女の思いこみで本当の過去生ではないかもしれないと、気になりました。そこで、私は例の光の体験をしたかどうか確かめるために、過去生のビジョンに入る前に何か見ていないか聞いてみました。
実は私はこの光の体験をクライアントが本当に過去生に入っていったのか判断する基準のひとつにしていたのです。中には、私のセッションで過去生を見た人から話を聞いて、私も過去生を知りたいとセッションを受けにやってくる人もいるのです。そういう人に、私のセッションは過去生を見るためのセッションでなく、その人の本来のありようにに気づいていくためのセッションであり、そのために過去生を見ることが必要な人が必要なときにのみ起こることを説明します。それで納得してセッションをうけてくれるのですが、そういうひとはよくセッション中に見たビジョンを何でも過去生に結びつけてします傾向にあります。そういう場合に光の体験があったかどうか確かめて、それは過去生ではないことを説明していました。
彼女は過去生に入る前のビジョンがありましたが、それはちょっと変わっています。
まず、狭くて暗いところに閉じこめられて、それから熱くてドロドロしたもので体が包まれていきます。そして体を横からぎゅうぎゅう押されてどんどん苦しくなっていきます。その後、突然ラクになって、体が横にひろがっていきました。その後でハートがパカーンと開いてイシスが入ってきて一体となったということです。
やはり光の体験はありませんでした。しかし、セッションで起きたヒーリングは、それまでに過去生が出てきたときのセッションで感じた手応えと似ていました。わたしに本当の過去生ヒーリングかどうかはわかなくなってしまい、彼女にそのことを説明して、私には判断がつけにくいことをつたえました。
しかし、彼女はそんなことはどうでもいいようでした。なにか憑き物が落ちたような晴れ晴れとした顔をして、イシスのガイダンスどおり、女性のためのワークをはじめることを決意していました。
私としても、それが過去生ヒーリングであろうがなかろうが、セッションで大きなヒーリングが起きたことは手応えで分かっていましたから、どちらでもいいことでした。

ところが、2、3週間後にたまたまテレビを見ていてその番組の内容に非常に驚かされました。
その番組は歴史物の科学番組で古代エジプト文明を取り上げていました。途中から見たため何をテーマにしているかはわかりませんでしたが、話がいけにえのことになり、イラストでいけにえの儀式の詳しい手順を説明しはじめました。
大きめの棺のようなものにいけにえの女性を生きたまま入れ、そこに溶けたロウを流し込みます・・・。何と数週間前にセッションの後で聞いたそのままのことがテレビで説明しています。イラストに描かれているいけにえの女性からみれば、その体験は先ほどの女性が話していたことそのままに感じになるに違いありません。
セッションの中で見た過去生ビジョンと、歴史学者が説明する話の内容が一致していることに驚かされました。それと同時に、私は自宅にテレビを置いてなくめったに見ることはありませんが、たまたま外出先で見た番組で、それもセッションのわずか数週間後というタイミングの良いときに見た番組で、私の疑問に答えるかのように説明している、という偶然性にも驚かされました。
彼女が見た過去生のビジョンはやはり本物だったのです。

閑話休題。
ちょっとおもしろい連想がわいたので、忘れないうちにここに書いておきます。確かグラハム・ハンコックの「創世の守護神」という本の中だったと思いますが、エジプトのピラミッドが瞑想のための施設だったという説が出ていました。古代エジプトではエンライトしていなければファラオとは認められなかったらしく、ファラオが死後も永遠の命をもつというのは単なる神話ではなく、目覚めた存在であるという実際の話であったといいいます。そのため、ファラオになるべき人物は大ピラミッドの中には入り、真っ暗闇の中、あの強力なエナジーフィールドの中で瞑想をしたのです。そういえば、大ピラミッドに王の間、女王の間、地下の間と3つの主要な部屋があります。これはわれわれの内的進化のアウヤネスの目覚め、ハートの目覚めに、ビーングの目覚めに符合します。ファラオはエンライトするべく、3つの目覚めのためにそれぞれの部屋で瞑想したのかも知れませんね。それに、もうひとつ。どこの部屋にあったのか覚えていませんが、最低ひとつは石造りの大きな棺のようなものがあったはずです。これは過去生のビジョンで彼女がイシスと一体化したのと同じ方法で、ファラオになるべき人物が高次の存在と一体化するために置かれていたのでは・・・、という連想でした。
---本題に戻ります。

過去生ヒーリングはタイミングが大切

このふたつのケースで過去生ヒーリングが与えた影響は、前のケースでは、肉体的な痛みがとれたことと心理的な恐怖が消えたこと、後のケースでは悩みが消えたということです。しかし、これは表面的なことにしかすぎません。表面的なことといてもその人にとってはその時でいちばん大きな問題ではあるのですが・・・、私のみるところではもっと深いところで大きな変化が起きています。これは他のケースでもすべていえることですが、過去生ヒーリングが起きると、セッションの前と後ではクライアントは顔の表情から体の姿勢、エナジー、といったその人の存在すべてのレベルで変容が見られます。
これは過去生を見ることによって、それまで「私」と思っていたものが、本当はもっと広がりのあるものだということに気がつかされることによるもではないでしょうか。それも本で読んだ知識としてではなく、あるいはリーディングで聞かされた話としてではなく、自分自身で体験することによって、その気づきは深いレベルまで浸透していくのでしょう。そのため、肉体、思考、感情といったその人の存在のあらゆるレベルでを縛っていた「私」という枠がはずれ、その人生のあらゆる局面に計り知れない影響を与えていくものと思えます。
しかし、ひとつ気をつけなければならないことがあります。このようにすばらしいヒーリングを起こす過去生体験ですが、タイミングを間違えると、それが強力な体験だけに、混乱を招いてしまい、悪くすると深刻なダメージをうけてしまうとい危険性もはらんでいます。準備ができていないにもかかわらず、過去生を体験すると、それでこの生の問題が解決するどころか、この生の問題に、過去生の問題まで抱えてさらに大変なことになってしまうわけです。
先ほどのケースでは、ふたりともセッションに過去生を見るということを期待していません。ひとりは「どんな自分に出会うのか楽しみ」にしており、もうひとりは深い瞑想のために受けています。私のほうも過去生ヒーリングはまったく意図せずにセッションをすすめています。つまり、過去生ヒーリングは自然に起きたのです。これが大切なポイントです。
20世紀のインドの偉大な神秘家オショーは何百もの瞑想法を人々に授けました。日本でも本屋に行けばこれらの瞑想法がまとめられた本を誰でも手に入れることができます。しかし、これらの中には過去生に入るための瞑想法だけはまったく書かれていません。オショーはこの瞑想法に関しては、その人を見て個人的に与えるだけで、一般には公開しませんでした。
またこんな話を聞いたことがあります。どういったわけか前世の記憶を持ったまま生まれてきた少女がいました。彼女の語る前世はつい最近のことで、実際に調べてみると、彼女の言うとおりの場所にそういうお婆さんが生きていて少女が生まれる間に亡くなっていたことが分かりました。そして彼女は子供や孫の名前も覚えていて、調べてみるとそういう人たちが実際にいることが確かめられたというのです。つまり彼女は肉体は少女ですが、頭の中はお婆さんというわけです。周りの人には貴重な存在として珍しがられていましたが、本人は成長するにつれてそのギャップに苦しむようになり、ついには精神に異常をきたしてしまったということです。
よく効く薬は劇薬でもあるのです。セッションでも過去生としてあらわれるケースは劇的な死に方をしている場合が多いのです。先ほどのふたつのケースも、ひとりは戦争で負ったけがが原因で戦場で死んでいるし、もうひとりは自らすすんでいけにえとなって死んでいます。他のケースでもやはり殺されたり、自殺したりといういわゆる自然死でない場合が多いのです。
もっとも、今生にまで影響をおよぼし、ヒーリングが必要な過去生ですから、当然といえば当然のことです。
それからもうひとつ。最初のケースでもみられましたが、過去生で関わりのあった人は、今生でも何らかの関係性を持っている場合が不思議なほど多いのです。たとえば配偶者であったり、恋人であったり、親子であったりします。最初のケースのように過去生で良好な関係であった場合はいいですが、そうではないケースもあるのです。もし、準備ができていないうちに過去生での関係性を見てしまうと混乱して、かえって現在の関係性に問題を生じてしまうことになりかねません。
このように過去生のヒーリングにはタイミングが大切なポイントとなります。
充分に準備ができていれば意図しなくても、それは自然に起きるのです。
そしてその準備とはどういうことかといいますと、これまでの経験から言えることは、この生で自分が苦しみと思っていたものとどれだけ向き合ってきたかということのようです。どのような人生にも必ず苦しみ、悲しみ、痛みがあります。これは「生」のレッスンのようなもので、ちゃんと消化できれば「魂」の栄養となり成長することができますが、向き合うことなく逃げてしまうと、次の生で同じ苦しみが繰り返されるのです。授業を無断でさぼったために落第させられて、もう一回同じ学年を繰り返させられるようなものです。
先ほどのふたつのケースでも、苦しみ悩んでいたことは実は過去生から持ち越していた問題だったのですが、彼女たちはこの生での問題として充分向き合っていたために、ある時、突然神秘の扉が開いて、すべてが明らかになったのです。
もうひとつ、過去生ヒーリングに関して、セションの経験からいえることは、必ずしもすべての人に必要であるわけではないという点です。ヒーリングが本来の自己に気づいていくプロセスだとすれば、過去生ヒーリングは本来の自分に気づくために本来の自分でないものに気づくプロセスだといえます。つまり間接的なプロセスなのです。過去生を見なくても直接、本来の自己に向かうことができる場合は過去生を見る必要はないはずです。
すべては、「今」にあるのですから・・・

(この項のふたつの実例の掲載については本人の了解を得ています)

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